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「ペテロ」 なのに 「シモン」?

  • 執筆者の写真: Katsumi Sunaga
    Katsumi Sunaga
  • 4月30日
  • 読了時間: 3分

質問:イエスご自身がシモンにペテロという新しい名前をつけたのに、なぜまた 「シモン、シモン」 と呼ばれたのですか?  [ルカ 22:32]


イエスがペテロをあえて「シモン」と呼ばれたことに意味があるのなら教えてください。


答え: 意味もありますが、深読みし過ぎないようにしましょう。


「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。」 という箇所ですね。


前のブログ、https://www.the-oasis.jp/post/マタイとレビは同一人物 でも述べたように、当時のユダヤ文化では、一人の人が、ヘブル語、アラム語、ギリシャ語、ラテン語などで名前 (もしくはニックネーム) を持つことは当たり前のことでした。姓がなく名前だけで呼ばれていた文化圏では、なおさら個々人を区別するために、ただの流行以上に必要性が高かったようです。


シモンがイエスによってペテロ (岩) と名付けられたことには預言的な意味があります。マタイ 16:18 で 「この岩の上に教会を建てる」 というほどの重要な預言的な意味合いです。しかしそれと同時に、ヨハネ福音書では、著者ヨハネはペテロのことを頻繁に 「シモン・ペテロ」 という呼び方をします。これには特別な意味はなく、当時のよくありふれたシモンという名前と区別するためにそう書いたというものでしょう。


しかしこれを理解したうえで、ご指摘の箇所 [ルカ 22:32] にはイエスからの意図的な意味合いが含まれていると思います。


ここはイエスが十字架にかかるすぐ前の出来事ですが、イエスはペテロに、「あなたは私を知らないと否定します」 という箇所です。イエスはペテロが肉にある自分の強さに頼っていることを見て、彼を「シモン、シモン」 と呼んだと思われます。「あなたは今、昔の肉にあるシモンに戻っている。」 という意味でしょう。また 「シモン、シモン」 と2度呼ばれていることから、イエスはこれを強調して伝えていると思われます。


これと同じ意味合いの呼ばれ方が他の箇所にも見られます。


マタイ 16:17

ペテロは言った。「あなたは神の子・キリストです。」 イエスはペテロに答えて言われた。「バルヨナ・シモン。このことをあなたに示したのは人ではなく天の父です。」


バルヨナ・シモン とは「ヨナの子・シモン」 という意味です。ペテロはイエスに、「あなたは神の子です」 と告白しましたが、イエスはペテロをあえてシモンの出生まであげて、「あなたはヨナの子シモンです」 と呼び、ペテロが霊的だから啓示を受けたのではないと強調して伝えられたと理解する人もいます。


マルコ 14:37

イエスは戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「シモン。眠っているのか。一時間でも目をさましていることができなかったのか。」


過越の食事の酒に酔って眠っているペテロに、「肉にあって弱いシモン」 という呼び方をされているように思われます。そしてこの直後、彼はイエスを知らないと否定することになります。


このように、聖書の登場人物すべての呼び方に霊的な要素を見つけ出そうとするのには無理があるかもしれませんが、いくつかは確かに霊的な意味合いをもって発言されているようです。深読みし過ぎないように注意しつつも、聖霊によって示されることも大切にしてください。

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