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聖霊が福音宣教を禁じた?

執筆者の写真: Katsumi Sunaga
Katsumi Sunaga
5月29日
読了時間: 3分

質問:なんで聖霊はパウロたちがアジアやビティニアに福音を広めることを禁じたのですか? [使徒 16:6-7]


全世界に福音を伝えるのは神の御心だったのではないですか?



答え: パウロ以外にも福音を伝える使徒たちがいたからです。


このブログで前述「テオフィロ様って誰ですか?」したように 、使徒の働きはパウロが中心人物として書かれているので、福音を異邦人に伝えたのはパウロだけのような感覚に陥ることがあります。しかし実際は、十二使徒たちのほとんどがイスラエル以外の地域、国々に出て行って福音を伝えたという記録があります。


下の地図をご覧になると分かりますが、12使徒たちをはじめ、それに続く70人の弟子たち、さらには500人の復活の目撃者たち、それからペンテコステの日に加えられた 3,000人の弟子たちが、それぞれ福音を携えてさまざまな地域に遣わされたというのが現実です。特に12使徒たちによって、東はイラン、北はロシア、南はエジプト、さらに遠東インドまで福音が伝わったとされています。



このように神の視点から見ると、アジアやビテニア地方というアジア地方はすでに他の使徒たちも遣わされているため、もうこれ以上パウロが行く必要がなかったということもできます。


かえって、西方であるヨーロッパはまだ誰も入ったことがない地域だったのでしょう。パウロは、ヨーロッパのマケドニア地域(ギリシャの北)の人々が呼んでいる幻を見て、ついにエーゲ海を渡ってヨーロッパに足を踏み入れることになりました。


パウロが書いた「ピリピ人への手紙」のピリピの街は、パウロがヨーロッパで開拓した初めての教会です。そしてついには首都であるローマへと行くことにもなりました。これが異邦人の使徒であるパウロの働きの使命であり、また「境界線」だったのです。


この 「働きの境界線」 の理解について、パウロは次のように書いています。


宣べ伝える人がいなければどのようにして聞くのでしょうか。しかし遣わされることがなければどうして宣べ伝えられるでしょうか。[ローマ 10:15]


私は、他人の土台の上に建てないように、まだ福音が語られていない所に宣べ伝えることを切に求めたのです。[ローマ 15:20]


今はもうこの地方に私が働くべき場所がないので、スペインに行く予定です。[ローマ 15:23]


パウロは、全世界が自分の前に広がっていても、「遣わされた場所にしか行けない」 ということを理解していました。聖霊が福音宣教を禁じたというよりも、それぞれが行くべき場所に遣わされたという理解が正しいと思います。


皆さんも、自分が行きたい場所に行けなくても失望する必要はありません。主が遣わしたと所が最高の場所であり、もっとも実りが良い場所になるでしょうから。自分の使命と境界線を理解して進んでいきましょう。

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