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Ask the pastor
聖書と福音のQ&A
イエスキリスト
なぜ3人だけ?
質問:ヤイロの娘を癒す時に、なぜイエスはペテロ、ヨハネ、ヤコブの3人しか一緒に入ることを許されなかったんですか? [ルカ8:51] 癒しのためだったら3人だけでなく、弟子 12人全員で入ったほうが、12人みんなの信仰が集まって強くなるだろうにって思いました。 答え:イエスは信仰を大切にしたから、あえて3人にしたようです。 確かに人々が大勢が集まれば、信仰も集まって力が増すだろうと思いますよね。しかし、信仰は必ずしも 単に集まった人数に比例しているわけではありません 。集まった人たちに 「信仰があれば」 たしかに信仰は増し加わるでしょうが、集まった人々が 「不信仰の人々」 ならば、かえって不信仰が増し加わってしまいます。実際ここで集まった町の人々は、死んだ娘をよみがえらせようとしているイエスを 「冷ややかにあざ笑っていた」 と書かれています。そこには大勢がいたものの、不信仰が増し加わっていたのです。これはカペナウムという町で起こったことですが、実際にルカ10章では、イエスがこの町の不信仰を責めているのを見ることができます。死人をよみがえらせるという
Katsumi Sunaga
3 日前読了時間: 2分
義人にする力と私たちの選択
質問:キリストの力が勝っているなら、信じなくても自動的に救われるのでは? アダムによって全ての人が罪人になる力よりも、キリストの「義人にする力」の方がはるかに勝っているはずです。 それならば、キリストを知らなくても、信じなくても、すべての人が自動的に救われるのではないでしょうか? 答え:「力の強さ」ではなく「誰を受け入れるか」という対話 神様の力の偉大さに目を留めた、非常に鋭い視点ですね。 一緒にひも解いていきましょう。 この問いへの答えは、救いが単なる「力の強さの勝負」ではないというところにあります。 実は、イエス様が十字架にかかる前から、いえ、天地創造の初めから、神様は常に悪魔に勝っておられます。義の力は、いつだって罪の力よりもはるかに優れているのです。 力の大小は問題ではありません。 本当の問題は、私たち人間が「悪を好む存在」になってしまったこと、そして「あえて神様から離れる道を選んでしまう存在」になったことにあります。 たとえ神様の義の力がどれほど強くても、一人ひとりがその力を自ら選び、受け入れ、自分のものとしなければ、その力はその人の人
Katsumi Sunaga
2月18日読了時間: 2分
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