私たちの信仰を増してください!
- Katsumi Sunaga
- 4月23日
- 読了時間: 3分
質問:これに対するイエスの答えが例えなので分かりづらいです。 [ルカ 17:5-10]
「信仰があれば何でもできる」 というのではなく、「神に言われたこと」を疑わないで信じて実行するなら何でもできる。という事でしょうか?
答え: その通りです。 信仰とは、神のことばへの応答です。
このたとえで、イエスは信仰についていくつかの原則を教えておられるようです。
① あなたがたはすでに十分な信仰を持っています。
「あなたがたに、からし種ほどの信仰があれば、木を海に動かすこともできます」 というところから、信仰とは自分の訓練によって増やしたり、大きくしたり、伸びたりするようなものではない、また信仰は量や大きさなどで測るものではないと教えられています。
② 信仰は、神のことばに対する 「忠誠心」 です。
ルカ17:9に 「あなたも、自分に命じられたことを行ったら、なすべきことをしただけですと言いなさい。」 とあるように、まことの信仰とは、神のことばに沿って行動する時に自然に力を発揮するものです。必要なのは信仰の量や大きさではなく、神のことばへの忠誠心・依存心です。
パウロもローマ10:9で、「信仰はキリストのことばを聞くことから始まります。」 と言いました。信仰は、自分の欲や願いを強く念じることではなく、キリストのことばを聞くことから生み出され、キリストのことばに沿って、キリストのことばを体験するために力を発揮します。キリストのことばが癒しを約束しているので、私たちはそれを体験するための信仰を持つことができるのです。
③ イエスが伝えているもう一つの原則は、「私たちの権威」 というものです。
このたとえの中では明らかに、私たちが主人であるという設定がされています。主人は、しもべに何かを命じたなら、それは必ずそうなると期待します。しもべは主人の言うことをすること、それが当然の常識です。それが この世の 「ことわり」 です。主人はいちいち、「しもべがそれをしてくれるだろうか・・・、もししてくれなかったらどうしよう・・・」などと悩んだり恐れたりしません。しもべは私が言ったとおりにする。それ以外はありえない。それが 「当たり前」 なのです。同じように、私たちも信じて命じる時に、それが起こって当たり前だと受け止めるのです。それ以外にない。一度命じたなら、「そうならなかったら・・・。もしかしたら・・・」 などといちいち考えないのです。「私はキリストのことばの権威によって命じた。それが起こらないわけがない。それが起きてもいちいち驚かない」 というくらいまで、みことばに沿った私たちの権威に確信を持つことを教えています。
別の箇所でイエスは次のようにも言っています。
まことに、あなたがたに言います。この山に向かい、「立ち上がって、海に入れ」と言い、心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります。
[マルコ 11:22]
さらにイエスのことばを心にたくわえて、イエスから与えられた権威を行使して、もっともっとイエスが約束された祝福を体験していきましょう。

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