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水のバプテスマと聖霊のバプテスマは違うものですか?

  • 執筆者の写真: Katsumi Sunaga
    Katsumi Sunaga
  • 5月28日
  • 読了時間: 2分

更新日:5月29日

質問:サマリアの人々がバプテスマを受けていたが聖霊は下っていなかった、とありますが、水の洗礼を受けたからといって、聖霊のバプテスマを受けたことにはならないということでしょうか? [使徒 8:15-25]


自分の体験としては、確かに同時ではなかったのですが、2つのバプテスマについてその関係性と考え方をちゃんと知りたいです。


答え: 水のバプテスマと聖霊のバプテスマは、別のものです。


聖霊のバプテスマの理解については、2,000年の教会歴史の中でさまざまな解釈や定義がされてきました。そのため、水のバプテスマを受けたと同時に聖霊のバプテスマも受けたと信じる方々もいます。しかし私たちは、この聖書の箇所などに基づいて、水のバプテスマと聖霊のバプテスマは 「別々の異なる体験である」と信じています。


使徒 10:44- では、ペテロがコルネリオさんの家で福音を語っていると、そこにいた人々に聖霊のバプテスマが下りました。そこでペテロは、「彼らが聖霊のバプテスマを受けたのなら、水のバプテスマも受けさせるべきだ」 と言いました。ペテロは、聖霊のバプテスマと水のバプテスマは同じものだから、水のバプテスマは受けなくていい」 とは言いませんでした。すなわち、初代教会の使徒たちも、水のバプテスマと聖霊のバプテスマを 「別々の異なる体験」 として理解していたということです。


ペテロがなおもこれらのことを話し続けていると、みことばを聞いていたすべての人々に、聖霊が下った。するとペテロは言った。「この人たちが私たちと同じように聖霊を受けたのですから、水でバプテスマを受けるのを誰が妨げることができるでしょうか。」(使徒 10:44-48)


聖書の教えからとてもシンプルに言うなら、水のバプテスマは、「罪の赦しと霊的な新生のため」 であり、聖霊のバプテスマは、「神の力を受けて、霊的な権威を行使するため」 であるということができると思います。使徒 1:8 でイエスが、「聖霊が下るとき、あなたがたは力を受けます」 と言われ、また 「全世界に出て行って私の証人となります」 とも言われていることから、聖霊のバプテスマは 「御国を拡大するために働く力を得るため」 という理解が強いといえるでしょう。


このブログの中では、聖霊という大きなトピックについて話すことができないので、いずれ教会で話すことになるでしょう。


乞うご期待!

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