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無条件?条件付き?

執筆者の写真: Katsumi Sunaga
Katsumi Sunaga
2月18日
読了時間: 2分

更新日:3月5日

質問:「キリストを信じるなら」という条件

オリジナルゴスペルでは「無条件」という言葉がよく出てきますが、「キリストを信じる」というのは、救いのための「条件」なのではないでしょうか。

また、そこには自分の「選択」も含まれているように感じます。


答え:差し出された恵みを、信仰で受け取る

聖書を読み進める中で直面する、非常に鋭く、かつ大切なポイントですね。

一緒にひも解いていきましょう。


結論からお伝えすると、はい。確かにその通りです。

皆さんに正しく理解しておいてもらいたいのですが、「救い」は無条件ではありません。


私たちの教会でも、神の「無条件の愛」は強調しますが、「無条件の救い」とは言わないように気をつけています。

なぜなら、神はご自分を信じない人でさえ無条件に愛されますが、信じようとしない人を無理やり救うことはできないからです。

かつてアダムが、神のことばを信じないという「不信仰」によって神との関係を切り離してしまいました。 ですから、その関係を戻すためにも「神を信じる信仰」が条件となります。

 

十字架の福音は、神の側から一方的に、無条件の恵みとして備えられました。

しかし、私たちが救われるためには、「信仰」によって受け入れることが必要です。つまり、私たちの「選択」が必要なのです。


聖書には、この一方的な「恵み」と、私たちの「信仰」の関係がはっきりと記されています。

ローマ 5:2 私たちは、キリストによるこの恵みに、信仰によって導き入れられました
エペソ 2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。


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