らくだが針の穴を通る?
- Katsumi Sunaga
- 8月5日
- 読了時間: 2分
質問:「らくだが針の穴を通る」とはどういう意味でしょうか。
実際に針の穴と言う門がある?または場所があったのですか? [マタイ19:23]
答え:
最近の文献の中には、「当時は本当に針の穴という門があった」 という説もありますが、それは後世に出てきた作り話のようなもので、実際に考古学的に立証されたものではありません。これはイエスがたとえとして用いられた表現だと思われます。
当時、ラクダは中東で最も大きい動物でした。それが最も小さい針の穴を通るというイメージを思い浮かばせたかったのだと思います。「それはむずかしい」 と言われましたが、実際はむずかしいどころか不可能です。金持ちだけでなく、人間が救われるのはそれほど不可能なことなのです。実際に、これを聞いた弟子たちは、「それでは、いったい誰が救われることができるのですか?」と聞きました。それに対してイエスは、「それは人にはできません。しかし、神にはできるのです。」と言われました。
これは金持ちについての描写なので、金持ちに当てて解釈するとすれば、ラクダが実際に小さな穴を通る姿をイメージしてみてください。ラクダはまずヒザをかがめなければなりません。そして、抱えている多くの荷物を降ろさなければなりません。そして、コブが取り除かれる必要があるでしょう。それらのことを思い描くと、金持ちが高慢になっていること、金銭に執着して大きな荷を抱えていること、それらのコブが邪魔をして通れなくなっていることが見えてきます。そういう意味では、金持ちがそれらのものを手放して、ひざまづいて、へりくだることはまさにむずかしいことなのかもしれません。
金銭そのものが悪いのではありません。彼らがお金を所有していたのではなく、お金が彼らを所有していたのです。私たちも金銭的に祝福されることを求める中で、それに執着したり、捕らえられたりしないようにしたいですね。

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