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なぜ金持ちの青年は全財産を求められた?

執筆者の写真: Katsumi Sunaga
Katsumi Sunaga
8月5日
読了時間: 2分

質問:なぜ金持ちの青年に全財産を売り払い貧しい人に分け与えるように言ったのでしょうか?全部売り払わなくても、貧しい人に豊かに施したり、宣教のために献げるようにするのではダメだったのでしょうか。[マタイ19:21]


答え:

確かに、全財産というのは難しい要求ですね。しかし、ここでイエスが伝えたいのは財産の「全額か、一部か」という問題ではありません。この青年がイエスという方に対して 「どれほどの価値を見出しているのか」 というものです。イエスという方が、自分の持っている金銭、所有物のすべてにまさって価値ある存在なのか否かということを聞かれたのです。


律法にかなった正しい行いをしている青年に対して、あなたの行いではなく、イエスという方がどれほど貴重なのか見せてほしいと願われたのです。恐らくこの青年は、イエスと金銭を天秤に置いた時、金銭の価値のほうが重かったのでしょう。悲しみながら帰って行ったということは、イエスに出会い、イエスを眼の前にしても、金銭を手放すのが惜しくなったということでしょう。たとえ貧しい人に金銭の一部を施しても、宣教のために献げても、それでは足りないというのはそういう意味です。求められているのは、持っている物からどれだけ献げるのか、というよりも、どれだけイエスに価値があるのかという質問だからです。


じつはイエスは今でもこの質問をしておられます。その一つが什一献金だと思います。什一献金を捧げる人は、「私の人生のすべて・全部をイエスに捧げる」 ということを示す行為としてするでしょう。「人生のすべて」 とは金銭も所有物も含んでいるからです。すなわち、この人は什一献金をするたびに、「イエスという方は私のすべてを差し出すほど価値がある方です」と宣言しているのです。


イエスは、私たちがどれだけ捧げたかを見ておられません。事実、10分の1 しか捧げていないのに、「すべて」 を捧げたとして受け止めてくださいます。イエスはこの心を喜ばれます。しかし、10分の1 を惜しみながら、悲しみながら捧げているなら、イエスにはそれほどの価値はないということになり、10%も捧げているのに 「すべて」 の要素はありません。


私たちは貧しい人々に施すべきですし、宣教団体にも献金するべきです。しかし、多額であっても少額であっても、「私のすべてはすでに神のものである」 という理解からそのようにできればすばらしいですね!

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