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なぜ癒しのために唾を使った?

執筆者の写真: Katsumi Sunaga
Katsumi Sunaga
10月8日
読了時間: 3分

質問:イエスは、言葉や手を置くだけで癒やす場面もある中で、なぜこの箇所では唾を使ったのでしょうか?


また、一度で完全に癒やさず、「何か見えますか」と本人に確認してから再び癒やしたことの意図についても知りたいです。


答え:


イエスは、その人の手を取って村の外に連れて行かれた。そして彼の両目に唾をつけ、その上に両手を当てて、「何か見えますか」と聞かれた。すると、彼は見えるようになって、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが見えます」と言った。それから、イエスは再び両手を彼の両目に当てられた。彼がじっと見ていると、目がすっかり治り、すべてのものがはっきりと見えるようになった。[マルコ 8:23-25]


確かにイエスは、いろいろな町で、いろいろな方法で、いろいろな病気を癒しました。イエスにとって、癒しのために特定の方法に頼る必要はなかったでしょう。しかし、さすがのイエスでも、人々を癒すことができない状況に置かれたことがあります。それは集まっていた人々が不信仰の心をもっていたときです。マルコの数章前にもどってみましょう。


イエスは彼らの不信仰のゆえに、そこでは何一つ力あるわざを行うことができず、

少数の病人に手を置いていやされただけであった。[マルコ 6:6]


奇跡がなされるために、まず克服しなければならないことがあったとすれば、それは集まる人々の不信仰だったでしょう。それが前提だとすれば、イエスが唾を使ったという行為は、自分のためでもなく、癒される盲人のためでもなく、そこに集まって見ていた人たちのためだったと思われます。


じつを言うと、当時のギリシャ・ローマ (グレコ・ローマン) 文化や、またユダヤ教のラビたちの中では、「唾は治癒のために用いられる」 という考えが通用していました。日本でも、ケガをしたら 「ツバをつけておこう」 という考えがあるのと同じです。盲目を癒すという奇跡を見ようとしている人たちは、イエスが唾を目につけたことによって、「おっ、ツバをつけたってことは癒されるんだな!」 という期待感 (信仰) をもったことでしょう。その場から不信仰の雰囲気を払拭するために、あえて唾を使って、「彼は癒されますよ!」 と前もって見せて、人々の心を準備したのだと思います。


イエスが二度目に手を置いたのも、イエスが一度で癒さなかったからとか、癒せなかったからではないと思います。これも恐らくイエスの癒しを信仰として受け止めるまで、盲人が 「もう一度手を置いてもらう」 という行為が必要だったのだと思います。「彼がじっと見ていると・・・見えるようになった」 とあるように、イエスは、彼の中に十分な信仰が生まれるまで手を置いて一緒にいてあげました。


私たちも、イエスからの癒しを受け取るまで信仰が生まれるのに時間がかかる場合があります。イエスは忍耐深く、私たちが必要ならば唾を使い、また私たちが必要ならば何度もじっと待って下さるお方だと示してくださったのではないでしょうか。

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