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「義」の正体とは?

執筆者の写真: Katsumi Sunaga
Katsumi Sunaga
2月18日
読了時間: 2分

更新日:2月19日

質問:「義」って難しい

 「義」という言葉は普段の生活では使うことがないと思います。また、オリジナルゴスペルの中で論理的に定義されていないようで、よく理解できません。

 具体的にどういう意味なのでしょうか?


答え:「義人」とは「イエスの性質」

たしかにそうですよね。「義」という言葉は、日常生活ではなじみが薄く、どこか堅苦しく感じてしまうのも無理はありません。一緒にその本質をひも解いていきましょう。


聖書の中で、「義」ということばは、シンプルに「罪」ということばの反対(対照)として用いられています。

ですから、「義人」の反対は「罪人」となるわけです。


では、その中身は何なのか。

まず、「罪」とはすなわち「悪魔の性質」のことです。

アダムが(エデンの園で)実を食べたとき、単に「罪という概念」が入ったのではなく、いわば「悪魔が入ってきた」のです。ですから、聖書が「私たちは罪人である」というとき、それは「私たちは悪魔の性質を持つ人である」という、存在そのものの状態を指しています。

 

反対に、「義」とは、すなわち「イエスの性質・神の性質」のことです。

私たちに「義」が入ったということは、私たちの中にイエス様、神様ご自身が入ってこられたということです。「私たちは義人である」というとき、それは単に正しい行いをしたという意味ではなく、「私たちはイエスの性質を持った人である」という驚くべき事実を指しているのです。

コロサイ 2:10 キリストのうちには神の満ち満ちたご性質が宿っています。 そしてあなたがたはキリストにあって満ち満ちているのです。


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