top of page
ザ・オアシスのロゴ

主はご自分を求める人に出会ってくれるものだと思っていましたが?

執筆者の写真: Katsumi Sunaga
Katsumi Sunaga
5月29日
読了時間: 3分

質問:サウロはキリストを求めるばかりか、逆に迫害している人物だったのに、なぜ神が明確に出会ってくれたのですか? [使徒 9:1-]


そしてなぜ彼の人生が大きく作り変えられたのでしょうか?


答え: 神は人の心の奥底を読まれるお方です。


主は、ご自身を求める者に出会われるというのは確かです。ここで注目するのは、「主を求めるにもたくさんの方法と表現がある」 ということだと思います。


パウロは確かにクリスチャンを迫害していましたが、心の中では、本物の神を求め続けており、本物の神を熱心に追求するという心が、彼の 「迫害」 という方法で表現されたのだと思います。事実、ギリシャ語では、「強く追い求める」 という言葉と 「迫害」 は同じ言葉なのです。


そういう意味では、パウロは、クリスチャンを迫害していたものの、同時に 「主を求めている者」 でもあったのでしょう。神はパウロの心の中の 「本当の叫び」 に答えて、明確に出会ってくれたのだと思います。


彼の人生が大きく用いられたのは、彼が迫害のために使っていた激しい追求心をキリストに向けたからだと思います。激しい迫害は、彼の神への情熱のあらわれでした。その同じ激しい情熱が、今度はイエスを知ること、福音を伝えること、御国を拡大することに注ぎ込まれるようになったのですから、大きく作り変えられて用いられたのは当然だと思います。


イエスがパウロを選んだときに、「あなたは私の名のために多く苦しまなければならない」 と言われましたが、パウロは自分が激しくイエスを迫害してきた分、迫害する人たちの気持ちも理解することができたに違いありません。今度はパウロが迫害の苦しみを受ける側になりましたが、彼の背景は、厳しい迫害を耐えるための一定のクッションにもなったのではないでしょうか。


とは言っても、すべての迫害者が純粋に神を求めているわけではありません。当時、他にもクリスチャンを迫害をする人たちもいましたが、それは自分の宗教の信念、肉の欲求、利益、立場、伝統を追い求めるだけで、本当に神を追い求めていなかったのでしょう。神は人の心を読まれるお方です。


現代にも、キリスト教の教えに反対し反発する人々も大勢います。しかしその人々が全員、反キリストだというわけではないと思います。中には、本当の真理を求めているのに、キリスト教の教えや教会がそれに対して正しい答えと解決を提供していないだけということもありえます。どこに次のパウロが眠っているのか分からないので、そのような方々にも丁寧に福音を伝えていけるといいですね。

最新記事

すべて表示
3度も繰り返されるのは意味がある?

質問:イエスが祈りに行かれた時、ペテロたちが眠っているのを見て「目を覚ましていなさい」というのが三度ありました。この三というのは、ペテロがイエスを三度知らないということ、また、イエスがよみがえった後にペテロに「私を愛しているか」と三度聞くことに関係してますか? 聖書に「三度」同じことが繰り返されることが多いのはなぜですか? 答え: よく気づかれましたね。 聖書のユダヤ文化の中で、3度というのは特定

 
 
 
神はあえて悪人を創造して用いられる?

質問:この2つの聖書箇所を見ると、創造主は人を悪き者や卑しい者に造ったと書かれていますが、そんな事があるのでしょうか。 愛である神の性質に反すると思いますし、元々悪しき者に造られたのなら、初めから救われるチャンスがないように思います。モーセに敵対したエジプトのファラオなどは神によって心を頑なにされたとあります。生まれる前から選ばれた我々クリスチャンに比べて、悪しき者達はハズレくじを引かされたような

 
 
 
なぜ癒しのために唾を使った?

質問:イエスは、言葉や手を置くだけで癒やす場面もある中で、なぜこの箇所では唾を使ったのでしょうか? また、一度で完全に癒やさず、「何か見えますか」と本人に確認してから再び癒やしたことの意図についても知りたいです。 答え: イエスは、その人の手を取って村の外に連れて行かれた。そして彼の両目に唾をつけ、その上に両手を当てて、「何か見えますか」と聞かれた。すると、彼は見えるようになって、「人が見えます。

 
 
 

コメント


bottom of page