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イエスのために家族と財産を捨てる?

  • 執筆者の写真: Katsumi Sunaga
    Katsumi Sunaga
  • 4 日前
  • 読了時間: 3分

質問:「私のために父、母、妻、子、あるいは財産を捨てた者は誰でも百倍の報いを受け〜」とありますが、家族を捨て、財産を捨てた者とはどんな人でしょうか? 百倍の報いとは何でしょうか? [マタイ19:29]


答え:

宗教の自由が認められている日本では、このような事象は想像しにくいですよね。しかし、昔だけでなく、今も、イエスを主として認めることを公言するために、両親に捨てられ、全財産を没収される人々がたくさんいます。


ユダヤ人は、今でも、「自分がイエスを信じた」 と言った瞬間、家族から勘当され、コミュニティから破門され、時に自分の子供や財産でさえ取り上げられることがあります。「イエスを信じたユダヤ人は本当のユダヤ人ではない」として、国籍も取り上げられる危険さえあります。これは、彼らが自ら進んで捨てたというよりは、「取り上げられた」 ということであり、それにもかかわらずイエスを捨てなかった、という意味で、イエスを捨てるよりは、家族を 「捨てた」 という表現がされているのです。


私も個人的に、あるアラブ人がイエスを信じた結果、父親から暗殺者を雇われ、今でも命を狙われているという人を知っています。その人は海外へ逃げて長い期間になりますが、父は今でも暗殺命令を止めていないそうで、母国に帰るならば、即座に殺されるだろうとのことでした。その人は、自分から進んで家族を捨てたのではありません。家族から捨てられたのです。自ら財産や母国を捨てたのではありません。母国から切り離されたのです。しかしそれを甘んじて受け入れたことが 「家族を捨てた」 と表現されているのです。


「百倍の報い」 という部分は理解がむずかしい箇所です。それはそのように家族を捨てた人たちが、現実に百倍の報いで祝福されているのをほとんど見ることがないからです。キリスト教を迫害している国々で、命を危険にさらして、家族や財産を手放してまでイエスを信じているのに、彼らの人生はずっと迫害によって苦しみ続け、ついには死で終わることも多くあります。「百倍の報いはどこに行った?」 と聞きたくなります。


しかしこの報いは、今の世の中で起こることではなく、後の世において起こることかもしれません。実際にマルコ 10:30 では、


イエスは言われた。「わたしの福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。[マルコ10:30]


とあるように、今の世では迫害を受けているものの、後の世で百倍の報いがあると見ることができます。これは、「今、生きている間には報いはない、期待できない」 ということではありません。しかし、たとえ今の世で報いがなくても、後の世では必ず報いがあるという保証です。


自由がある日本ではこのようなレベルの犠牲は伴わないかもしれませんが、それでもイエスを信じることについては何らかの犠牲があると思います。イエスはそれらすべての犠牲を覚えておられ、必ず豊かに報いてくださることを知って、喜びと忍耐の中で信仰を守り抜きましょう。

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